「たくさん取れたのでどうぞ」
近所の人から大根をお裾分けでもらいました。
このお裾分けという言葉、文化が気に入っています。
どこか物々交換ではない、貸し借りでないところが魅力です。
お裾分けの由来に、重要でない部分を分けるという記述があります。
私も貸し農園をやっていく中、大量に同じ野菜が収穫できるときがあります。
自分で食べる分は充分すぎるほど確保してるので、お裾分けする、重要でない分を分けるという意味は概ね合致しています。
重要でないものをあげる、という言葉にあまり良くないニュアンスを感じる人がいるかもしれません。
でもこの重要でないという部分こそが、お裾分けの特徴であり魅力でもあると思うんです。
これからお裾分けならではの良い点を紹介したいと思います。
お裾分けの前提
前提として押さえておきたいのは、重要でないものあげる=粗末なものをあげる、ではないという点です。
自分では消費しきれないものを分け与えているのであって、粗悪なものを渡しているわけではないということ。
重要ではないというのは、「自分の取り分はもう取ってある。なので重要でない」という解釈です。
お裾分けならではの良い点
受け取る側の負担が軽い
大量に取れたからと、重要でないものをあげるからこそ、受け取る側の負担は軽いです。
あげる側も消費しきれない分を消費してくれてうれしいし、あげる行為そのもので心が満たされたりします。
大層なものだと、受け取る側も気後れしますし、お返しを考える必要もでてきます。
それに比べ、お裾分けはあげる方も受け取る方も気楽なのが良いです。
自分を犠牲にしない
お裾分けの特徴として、まず自分の取り分は取って、溢れた分を分けています。なので自分の身を削ってまで分けようとはしません。
お裾分けが軽い、心地よいのは、こういうところだと思います。
自分の余裕がないときはムリしなくていい。自分に余裕ができてから、自分の容量から溢れた分だけ周りにまわしていく。
そんなムリしないところが魅力です。
断わってもいい
充分に足りてるなら、必要ないと感じるなら断れる間柄が理想ですね。
親戚や家族間のイメージだと伝わりやすいでしょうか。
「いる?」「いや、大丈夫」など、軽い感じで断れる。そうなると不必要なところには貯まらず、自然と必要な人のところに行き渡りやすくなります。
もちろん円滑に済ますため、一旦受け取ってから別の人に消費してもらうなど、やり方はいくらでもあるのであくまで参考程度で。
自分の当たり前を提供
お裾分けの精神は余った物に対してだけでなく、自分にとって当たり前なことを行うことに対しても適用できます。
私は車の運転が趣味ですが、母に買い物を頼まれ乗せたりします。ほかにはiPhone操作を手伝うことも日常茶飯事です。
自分にとって当たり前のことなので、そんな大層なことではありません。
iPhone操作だと、ネット注文の情報入力を代わりにしてあげる、そんなレベルのものです。
自分にとって当たり前すぎることなので、実感が湧きにくいですが、意外と他者から重宝されたりします。
ある知人は皿洗いがとても苦手で、ムリをしてこなしていましたが、同居人がまったく苦にならない(むしろ楽しい)ことが判明して、皿洗いは全部その人が担当することになったとか。
自分にとって当たり前にできること、重要でないことを、溢れた分だけ、余裕がある分だけ、周りに提供して成り立っていく。
そんな気楽な生活を目指しています。
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