幼少期から趣味として打ち続けていた麻雀。
あるときから勝ちにこだわらなくなりました。
現在は主に観戦勢で、YouTubeで解説動画を見たり、麻雀配信、Mリーグなどを見て楽しんでいます。
小さいときから身近な麻雀
振り返ってみたら幼いときから麻雀と縁があります。
小学生低学年くらいでしょうか。祖父母の家でスーファミのドラクエをプレイする自分。横で父母、祖父が麻雀牌をジャラジャラかき混ぜ、手積みをしていたのを覚えています。
中学に入るころにはルールも覚え、数少ない麻雀を打てる友達を見つけては、その友達の家で打ったり、家族で家庭麻雀を嗜んでいました。
家族間で打ちまくる
もっとも打った時期は高校〜大学生の時期でしょうか。ほとんど家族間でしたが、毎夜毎夜飽きもせずよく打ち続けていました。
といっても今の時代のネット麻雀にハマった人のように膨大な対局数をこなしていたわけではありません。
ネット麻雀は打つスピードが速いです。対して実際に人を囲んで打つ際はそれなりに時間がかかります。
山を積むのも人の手ですし、持ってくるのも人の手。そしてなにより我が家は考える時間が長い。
半荘一回数時間かかることもあります。
自分と父はルールも役も理解している中級者クラスとしたら、母と妹は初心者寄りです。
特に母はできることはほぼリーチのみなので初心者に近いです。思考時間が長いのは当然のこととして、特に急かすこともありませんしミスも咎めたりはしません。
対局時間が長くなるのは常でした。
日に半荘一回。多くても半荘二回がせいぜいといったところです。
勝ちにこだわらなくなる
高校、大学生のころは貪欲に勝ちを狙っていました。点数や順位にこだわり、どうすればより勝ちやすくなるか本などで研究したものです。
しかしどういうわけか、あるときから勝ちにこだわらなくなりました。
きっかけはとくに覚えていません。順位を上げることに躍起になっていたのに、あるときから別に勝たなくてもいいかなと思い始めました。
対戦相手が常に初心者だったのも影響しているかもしれません。といってもわざと上がらないなど手を抜いたりはしません。
結局のところいつも通り打っています。ただ意識だけが変わりました。
そうすると別の視点で麻雀を楽しむ思考が働きます。
あがりには程遠いバラバラの手牌にも楽しみや愛着を持つようになりました。
高い手しか価値を感じなかったのが反転して安い手に思い入れや価値を感じるのです。
加えて、牌山から牌を持ってくる感触。そして手牌にいれるときの牌同士が触れ合ってカシャカシャ鳴る音。
それらを愛でるようにもなりました。
我が家の家族麻雀はとにかく時間がかかります。特に母は考え込むことが多いため、必然的に自分の番が来るまでの時間は長くなります。
自分の番まで手牌を長く見つめながら、物思いにふけることもしばしば。
それもあってか、こんな余暇の過ごし方をするようになりました。
祖父母と打った記憶
祖父母ともよく卓を囲みました。
祖母は母よりもさらに初心者よりといいますか、思考時間もかなり長い。
ですが祖父母宅のあの古い家屋で、使い古されたこたつでの手積みの麻雀はなかなか味わい深く、記憶にも鮮明に残っています。
真剣勝負も魅力的
自分がよく打つ相手が父のように同格、もしくはそれ以上の猛者と囲んでいたならば取り組み方も違っていたかもしれません。
ある時期そうだったように、常に上を目指して技術の向上に励んでいたことでしょう。
しかし自分は家庭麻雀で十分満足するようになりました。なので特に猛者を求めて、外へ出て行ったりもしませんでした。
猛者たちが打つ麻雀もたいへん魅力的です。毎年Mリーグを観戦して楽しませてもらっています。
ときには真剣勝負もいいですが、旅行先や年末にやる家族間でのあのゆるい雰囲気もなかなか乙なものです。自分はどちらかというとこちらの方に縁が深かったみたいです。
特殊な囲碁の楽しみ方
余談ですが私は囲碁も嗜んでいます。
実力は級位者。一局打ち切ることも怪しい棋力です。
というか対局を一度もしたことがありません。
どういうわけか、石のかたちを眺めているのが好きなのです。
石のかたちによって強さが変わる。そのような囲碁の性質、仕組みにも惹かれ、YouTubeなどで解説しているのを見るだけで心が躍り、癒されます。
まるで絵画を見ているのような感覚でしょうか。
見ているだけでなぜか癒される瞬間があります。
我ながらよくわからん感性です。強くなる目的もない。気が向いたときに眺めて少しずつ学ぶスタイルなので10年以上級位者のままです。
それでも最近急に理解度が深まった感触がありました。おそらく対局をすればもっと早く、上達できることもわかってはいますが今のところ特にする予定はありません。
楽しみ方は人それぞれかなぁと。

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